M&A成約インタビュー

事業の承継に悩んだ社長が選んだ道は「M&A」
~「何とかします。」という信用金庫の熱意が実を結ぶ~

【写真】
(左)譲渡企業:北進モーター販売㈱ 菊地社長夫妻
(右)譲受企業:㈱東リース 黒米社長夫妻

譲渡企業
北進モーター販売株式会社
業種
自動車整備・販売業
所在地
埼玉県蓮田市
譲渡理由
後継者不在
譲受企業
株式会社東リース
業種
リース業
所在地
埼玉県入間市
買収理由
事業拡大

北進モーター販売㈱・菊池氏に
インタビュー

北進モーター販売㈱は、市内唯一(当時)の民間車検場として地元に愛され、自動車の一般整備・車検・点検のほか、スズキをはじめとする自動車の販売事業を営んでいます。
同社の代表取締役を務めていた菊地拓氏は、廃業も考えましたが、リース業を主として建設、建設資材の製造等を営む株式会社東リースに事業を託しました。
今回、本件M&Aについて、菊地氏にお話を伺いました。

北進モーター販売様の創業の経緯について教えてください

私はもともと宮城県出身で、高校卒業後、就職のために上京しました。
私は、昔から機械いじりや壊れた物を修理することが好きだったのですが、職業紹介所で「これから自動車産業が盛んになる。」と勧められたこともきっかけとなり、神田の自動車整備会社に勤めました。

同社では、自動車整備の経験を積み、営業所を任せていただくなどして13年ほど勤務しましたが、やがて独立を考えるようになり、東京オリンピック後の好景気に沸く昭和41年、北進モーター販売の前身である北進モーター販売整備工場を創業しました。

創業の地は、今の会社から数百メートル離れていますが同じ蓮田です。当時相談した不動産屋の親戚がいるとのことで、蓮田の物件を紹介されたのですが、なんと一面とうもろこし畑。自分の背丈ほどもあるとうもろこしが生えていて、ここに自動車整備工場を建てるなんて想像できませんでした。しかし、とうもろこし畑のなかで仕事をする訳ではないから良いかと思って、この地でやっていこうと決めました。

ちなみに北進モーター販売の「北進」は、もともと働いていた東京から埼玉(蓮田)に北上したことが由来で名前を決めました。ゼロからのスタートだったので、前に進むという意味も込めています。

事業を拡大した経緯について教えてください

創業後は、無我夢中でした。どんどん仕事が舞い込んで本当に忙しく働きましたね。
独立した当初、初めて雇った従業員の給料の支払いを忘れそうになったことがありました。給料日当日に従業員が笑顔でずっと待っていてなかなか帰らない。やがて、今日が給料日だと気づいて、慌てて近所のお得意さんにお金を借りて渡したこともありました。今ではありえないことですね(笑)

創業当初は30坪の整備工場でしたが、手狭になってきたので、事業拡大のため300坪の土地を買うことに踏み切りました。その資金が、埼玉縣信用金庫さんとの取引が始まったきっかけでもあります。
今では自動車の販売スペースもあるのですが、会社の敷地が10倍近く広くなったわけです。当時はちょっと広すぎるくらいでしたので、その分頑張らなければと思いましたね。
最初の従業員は私と家内の2人でしたが、一番多い時には約14名在籍していました。

技術力のアップを目指し、自動車整備の人材教育に力を入れていました。おかげさまで、当社には自動車整備を安心して任せられる腕の良い従業員が育ち、埼玉県陸運事務所の優良整備工場を受賞するほか、埼玉県自動車整備振興会が主催する自動車整備技能競技大会で優勝したこともあります。

自動車整備だけでなく、自動車の販売にも注力していました。自動車販売は初期の頃から国産全車種だけでなく外車も取り扱っていました。途中他のディーラーの代理店としてやっていた時期もありましたが、今ではスズキの代理店として、国産車を中心に自動車販売も頑張っているところです。

会社を譲渡しようと思った経緯について教えてください

もともと息子を後継ぎにしようと思っていたのですが、健康面で不安があったため親族内承継を諦めました。
このため、長年勤めてくれた従業員へ社長職を引き継ぎ、経営を任せてみたのですが・・・なかなか難しいものですね。私は会長職として試行錯誤しながら、社長を支えてきたつもりですが、自分の考え方と合わず、結局うまくいきませんでした。

気づいたら、80歳を過ぎた自分が、再度社長として復帰せざるを得ない状況になっていたのです。
そのような紆余曲折を経ていくうちに、いよいよ不動産を売却して廃業という最後の選択肢も頭をよぎりました。

しかし、自分でこの会社を創業して50年以上やってきたわけですから、どうしてももったいないという気持ちが働いてしまって・・・。やはり、経営者ならば、誰しもがそのような気持ちを持っていると思いますね。ただ、「どうしたものか・・・」と悩むものの、なかなか周囲に相談できずにいました。

そのようなタイミングでした。埼玉縣信用金庫さんの渉外担当Yさんの勘が良く、私が事業承継に悩んでいることを見抜いて、「何とかします。」と言ってくれたのです。Yさんに相談して、不動産を売却すれば手元にお金は残るかもしれないが、第一に優先すべきは、長年支えてくれた従業員や取引先のことと改めて気づきました。Yさんと話し合いを重ねた結果、M&Aで会社を譲渡することにしました。
そうして埼玉縣信用金庫さんを通じて紹介して頂いたのが、信金キャピタルさんです。

M&Aを実施する中で、悩んだこと、苦労したことを教えてください

M&Aを考えはじめてから成約するまでに約2年半かかったのですが、途中、最終合意に近づいた会社と破談になった時は、ショックが大きかったですね。私自身、M&Aを諦めようと思いました。その時は既に2年近く相手先を探していて、ようやく最終合意に至るところでしたから。

それでも相手先探しを諦めなかったのは、埼玉縣信用金庫さんの本部担当Hさんが「社長、気持ちを抑えてもう少し私たちに任せてほしい。」と言ってくれたからです。
また、信金キャピタルさんのコンサルタントIさんの努力も大きかった。諦めずに一生懸命提案を続けてくれて・・・。本当に心の支えになってくれましたし、私自身が持ち直すきっかけにもなりましたよ。

東リース様に譲渡することを決めたポイントは何でしたか

東リースさんが当社の魅力を理解してくれたことです。一度破談になった後、埼玉縣信用金庫さんはすぐに東リースさんを紹介してくれました。同じ埼玉県にあるリース会社で、自動車の認証・指定工場の免許を保有する点に魅力を感じてくれたとのことでした。

当社は、昭和54年に、この蓮田で初めて民間車検工場の認可を取得しました。当時、まだ蓮田で民間車検を行う会社はなく、埼玉の陸運局に何度も頭を下げて、ようやく許可を認めてもらったことを今でも覚えています。
このお相手なら自分が苦労して育てたものを引き継いでくれる気がして、譲っても良いという気持ちが大きくなりました。当社を新たな拠点として、事業を拡大してもらうことを期待しています。

M&Aの後はどういった心境ですか

まだ成約して1か月ほどしか経っておりませんが、やはりホッとしてますよ。やっと「自分の時間」を持てるようになりましたしね。今までは経営者でしたから「会社の時間」で「自分の時間」ではなかったですから。

長年趣味でやっていた社交ダンスをやるにも無理はできないので、これからは少し女房孝行をしようと思っています。何もわがままを言わない本当に良い女房なので、どこかに連れて行ってあげたいです。でも私も84歳だから、そんなに無理はできないですけどね。日本1周も考えていましたが、体が言うことを聞く範囲で、女房を喜ばせたいと思っています。

同じ立場の経営者の方々へアドバイスをお願いします

事業承継やM&Aについて社長同士で話をすることは難しいと思います。特に同業者だと話はできないのではないでしょうか。
正直なところ私からアドバイスすることもありません。「簡単にできるよ」って言います(笑) 私は、困った時は皆と手をつないでいけば何とかなると思っています。今回、こうやって埼玉縣信用金庫さんと信金キャピタルさんに大変お世話になったことは感謝しています。

ただ、あえて申し上げるとすれば、難しく考えないことです。自分の気持ち次第のところがありますので、無我夢中で取り組んで、見つけた相手と組めば良いと思います。自分の気持ちをしっかり持ってやるしかない。
事業承継を検討している会社は、選択肢の一つとしてM&Aも考えてほしいと思います。

担当コンサルタントからのコメント

事業承継の選択肢として、一般的に「ご親族への承継」「従業員への承継」「第三者への承継(M&A)」「廃業」がございます。菊地様もさまざまな方法を模索された結果、「M&A」または不動産を売却して「廃業」という方法が選択肢として残りましたが、従業員とお取引先のために、責任をもって次の経営者に事業をお譲りするM&Aを進めることを決断されました。

相手先探しを開始した後は、難航する場面もありご苦労をおかけしましたが、菊地様の「長年支えてくれた従業員、お取引先のためにM&Aを実現する」という想いは変わらず、最終的にその想いに応えていただけるお相手先への譲渡が成立しました。

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